舞踏 について

私たちの踊りについて

先ずどんな稽古をすべきかについてお話しします。踊りは「からだを通した自分の夢の実現」ですから先ず自分のからだをよく知らなければなりません。からだといっても生理的骨格的なからだから精神や直感などというレベルまで含めたトータルなからだのことです。

さて踊りは動きそのものではありませんが、動きと多いに関連がありますから運動の機能を知らなければなりません。僕はよくからだを建物になぞらえるのですが、からだの機能とは建物と同じように1)強度、2)柔軟性、その二つの上に3)バランスがのっているわけです。この三つが上手くかみ合えば動きになり、踊りと関係が持てることになります。

踊りの訓練に入る前に踊りの大切な楽器であるからだの訓練をやります。ストレッチなどを使った柔軟性と中心力の鍛錬、パワートレーニングやバランス訓練などです。いずれの訓練も目的はただ一つ、下半身を鍛えることに依って上半身の力が抜けるようにからだを準備することです。

さて踊りの訓練です。からだの機能を十分に働かせる為にまず基本的な踊りを僕は5つほど作りました。といっても日常の生活でいつでも出会える本当に基本的な動作です。例えば歩くこと、起ち上がること(立ち尽くすこと)、しゃがむこと、床を転がること、自転する(まわる)ことなどです。これが最初の稽古です。

この基本がきちんと出来ないと踊るときに‘ぼろ’が出てしまいます。

次に動きが踊りになるための条件を考えます。動きだけなら踊りにはならないわけでそこに自分の夢とか記憶とか欲望とかが盛り込まれることが踊りの条件になります。従って時には動かないことも踊りになります。少し先取りしていうならば踊りとは「頭脳的な想像力をからだで具体的に画にする作業」です。つまりはからだでさまざまな画を描けなければいけません。

そのためのお稽古としては例えば物語的な題材を踊ってみる(例えば妊娠した老いた鮭が激しい河の流れに逆らって昇って行く)、感覚的な題材を踊ってみる(‘剥がれる感覚’を踊ってみる)、動きや形だけに頼らずマチエール(肌理/きめ)を踊ってみる(‘芳香’を踊る、‘澱み’を踊る)、更には何とも踊りようがない直感を踊ってみる(‘廃墟’という名の娼婦、‘沈黙’を釣る、など)。

最後に即興の訓練が必要です。即興は自分の心とからだを自由にする為に絶対必要な訓練ですが一般に思われているような自由に勝手なことをするということではありません。いわば感覚と知覚のアンテナをより多く準備して一瞬一瞬の行為を正確に選択していく作業こそが即興です。つまり訓練によってアンテナが多くなれば偶然と思われる自分の行為が必然(自然)に近づいていくということです。

さて最後に大切なことを2つお話ししたいと思います。一つ目。私たちは伝統舞踊や古典舞踊の踊り手とは違ってある意味で素人です。或る意味でとは決められた芸術的な規範や技術のレベルという枠から眺めてという意味です。いわゆるプロの踊り手は一日でも稽古を怠ればたちまちその規範やレベルの枠から滑り落ちることになりますから稽古を欠かせないわけです。

無論私たちにも稽古は大切ですが定められた規範や技術的なレベルがあるわけではないのでその意味では素人でいいわけです。では私たちの踊りが簡単にできるかというと全く逆です。大変難しいわけです。何故難しいかと言うと踊る根拠が技術やその水準にあるのではなく、自分の内部にあるからです。

この言い方は少し難しいかもしれませんが自己という言葉を具体性と言う言葉に置き換えてみます。例えば何処かで習った踊りの手順をやってもそれが大変高度なものでなければ自分のものにはならずいわゆるレベルの高いプロには負けてしまいます。また音楽に合わせて踊ることもできますがそのリズム感が相当に良くなければやはり見せ物にはなりません。

今例としてあげた習った踊りの手順とか音楽に合わせて踊るということはそれが技術的に結晶化していない限り借り物である、つまり具体的ではないといえます。ではどうすればいいのか?具体的なもの、技術のレベルを問われないもの(従って競争による勝ち負けや優劣は私たちの踊りにはありません)を自分の中に見つけてそれを必死にあるいは豊かに踊るということです。これが自分を踊る、あるいは自分のからだを踊るということです。まだしっくりしない方は踊りの現場で是非それを確かめてみてください。

さて二つ目ですがよく自分を癒すために踊りたいという人がいます。出発はそれで構わないと思うのですが最後までそれでは問題があります。何故ならこうした踊りというものは1人ではできません。必ず見守ってくれる人、立ち会ってくれる人が必要です。簡単にいってしまえばパフォーマンスであり、僕の好きな言葉でいえば見せ物になる覚悟が必要です。つまり自分を癒すことが半分、他人を癒したり、喜ばせたり幸いにも感動させることが半分というわけです。このことを忘れてしまうと自分だけが満足する身勝手な行為になってしまいます。

以上のような内容の踊りであるということになるとなかなか簡単に世間的にアピールしたり有名になったりお金儲けすることは出来ません。なぜなら世の中というものはいつでも規範を作ってその規範のなかで優劣を作りたがるからです。つまり商売や商品として踊りに値段をつけるのが社会です。ですから私たちの踊りを志す人たちは有名にならなくてもいい、評価や競争の外にいても構わないという雄大な決心と覚悟がなければ出来ません。それでもこういう踊りをやってみたいという方があれば一度尋ねて来てください。

岩名雅記(舞踏家)
(2009年2月16日 アテネにて)


舞踏への招待

舞踏は1950年代の末、故土方巽(ひじかたたつみ)が開始したと言われる正確な意味での(時代の必然、要求から生まれ、見事にそれに対応したという意味で)現代舞踊の一つです。舞踏は土方の暗黒舞踏をはじめ、何人かの担い手によって1960〜70年代の日本の前衛シ−ンを圧倒的な力で駆け抜け、80年代からは私たちも含めて、日本、欧米ほか世界各地でその発展と展開を続けています。

何がこれ程までに舞踏を意味あるものにしたのか。それは舞踏が伝統舞踊やモダンダンス等、既製の舞踊に対する表現形態上のアンチテ−ゼを示したばかりでなく、むしろ舞踊、演劇、音楽のみならず、全ての既製文化に対する哲学的な改更を強烈に迫ったからです。そしてそれを支えたものは取りも直さず制度や社会に要請された、いわば物体(もしくは機能)としてのからだ(身体)ではなく、個々人の生命の欲望に応じたありのままの、また個の時間を内包した生きられたからだ(身体に対応させて肉体と呼ぶ)であったわけです。

土方が亡くなつて10年近くが去り、欧米においても日本においても今、舞踏は新しい時代に入っています。それは表現として優れ、完結した土方の暗黒舞踏の影響を直接、間接に受けつつも、その表現方法や形態を離れ、独自な活動を展開する担い手が出てきたからです。土方舞踏が厳密なメソッドと哲学を有していた、いわば伝承の舞踏だとすれば、現在の舞踏はその哲学的側面に依拠しつつ、広範な表現の方法を模索、展開している、私の言い方で言えば傾向(TENDENCY)としての舞踏と言えます。傾向とは古典、伝統、モダン、民族舞踊等に対するジャンルとしての舞踏であるよりは、私たちのからだに宿る純粋な生命をいかに正確に取り出せるか、と言う、いわばあらゆる舞踊表現に必須の「傾向」のことです。その意味で舞踏は何処にでも偏在する可能性があり、更に言えば「舞踏」として流布されている踊りに常に舞踏を感ずる必要もないし、逆に舞踏という枠組みに入っていなくとも傾向としの舞踏を内包している踊りや表現があるのです。にも拘らず私たちはそれを舞踏のらち外に締め出す危険を冒してきたことを認めなければなりません。又、「純粋な生命」という時の純粋とは、混じりけがないとか、美しいとか、健康であるとか、という事では全くなく、美醜、善悪、明暗等を超えた生命のありとあらゆる側面を孕むという意味です。

私は暗黒舞踏の担い手ではありませんので、言うなれば舞踏について教えるものを何も持ちません。むしろ生命をいかに正確に取り出せるか、という動的で傾向的な作業に徹しています。教えるものを持たない人間に何が出来るのか? 唐突ではありますが舞踏は既にあなた方の中にあるのです。それを取り出す為の方法を伝える事が私の仕事なのです。又、舞踏は既にあなたの中にある、と言いましたが誰にでもそれが許されている訳ではありません。舞踏を踊れるか否かは生きている事への関心、欲望、後悔、喜び、悲惨、それに伴う体験や記憶(からだの癖も又、記憶)をあなたのからだが宿しているか否かにかかっているのです。又、それが表現である以上、それを編集する能力と責任があるのです。舞踏を或る種の不思議な仕種やいでたちをするエキゾチズムとしてとらえ、そのマニアルを学ぼうとする方々には私は初めから関心がありません。何故なら舞踏とはからだそのものが名づけようもないものを生み出そうとするその行為そのものに他ならないからです。逆に自分の中にあるものを認めようとせず、外にあるもので自分を満たそうとするのは、からだを表現の道具(TOOL)として「使う」ことであり、舞踏的な行為からほど遠いからです。私はいわゆる奇異を好む舞踏愛好者や、技術を誇る窮屈なダンス専門家よりは、生きている事の喜びと悲惨を分かち合えるごく普通の人々の参加を期待しています。

1995年1月12日 東京にて


白踏宣言

私の提唱する「白踏」(Buto Blanc)とは舞踏の祖、土方巽の暗黒舞踏の黒と対峙するものでなく、「白」という辞を使う事によって、むしろ暗黒舞踏の哲学的側面

  • 即ち、舞踏家は完璧に己自身の“存在の暗黒”を(言うなれば)白日の元にさらすべきであるという主張
  • を強調しているのである。ヨーロッパの、いや世界の殆んど全ての近・現代舞踊の創作の基本的な方法が、先ずコンセプトがあって、それを実現する為に踊り手の外部にある動きや形を採集し、構成していくというものであるのに対し、舞踏の創造(正しくは産出というべきであろう)は個々人のからだに既に内在している踊り(原体験
  • しばしば風景という辞を使う)を導き、引き出してくるという所に最大の特長がある。従って結果として時には明確な、或いは現象的な形や動きというものが踊りの重要な要素ではない場合すらあるのだ。この内在する原風景(踊り)をもつからだを生理的な器としてのからだ(身体)と区別して、舞踏家達は肉体 NIKU-TAI と呼んで来たのである。

「肉体」を実現する為には、個々の体験や記憶、体癖の確認と集積、そして表現である以上それを編集する能力が必要となってくる。舞踏家達がしばしば直面する困難とは、実はこの「肉体」の実現の困難と関連しているのであり、見者にとっての困難、時に誤解はこの風景をはらんだ肉体を常に可視的なもの、つまり明確で現象的な形や動きとしてとらえようとする“常識”にある。白踏の舞踏は形や動き以前にある舞踏の本質(生命の実態の探求)を改めて洗い直す作業であるとも言える。この作業に困難が伴う事は言うまでもない。

初出・ 第1回パリ公演「神の旋律」企画書より
1989 La Maison du Butoh Blanc(在欧白踏館)